行き当たりばったり門司あるき前編
私のシゴトは夜の6時から9時までの3時間なのでその他の時間はフリーだし、6時までに戻って来ればなんとかなる。 行きたい場所はたくさんあるけど、とりあえず門司にだけは必ず行こうと決めていた。
実は2年前に下関に来た時、学科の九州勢が門司をおすすめしてくれたけど時間の都合で行けなかったのだった。
ゲストハウスのある唐戸から門司までは船で10分かからないくらいの近さで往復800円也。行けば何とかなるやろと、ろくに下調べせず船に乗って門司へGO。潮風が気持ちいい。
知っている情報は学科の九州勢が教えてくれた、近代建築がよいことと焼きカレーが有名ということのみ。
ここからは少しの絵と大量の手書き文字でお送りします。
ちなみに1階の常設展では船舶や大連について、それから門司の近代史などの展示がされていました。2階はホールと休憩室になっていてなぜかシャワー(有料)も借りられる。入場無料。
こんな感じ。
この旧大連航路上屋は「うらる丸」「吉林丸」「大連丸」などの大型客船の発着だけでなく、戦時下においては将兵や軍馬の出征にも使用された。
米軍は輸送基地としての能力を奪うため、いわゆる「飢餓作戦」としてこの関門海域に機雷を投下したがその総数は約5000発にも上ったという。機雷の掃海作業が完了したのは1949年で、皮肉にも門司港は朝鮮戦争の軍需景気によって復興することになった。
なお上屋は米軍に接収され、返還されたのは1972年になってからのことだったという。
また、私の画力の関係で描くことがかないませんでしたが、写真の通り海が近い。しかし、過去の写真や船をつなぎとめるためのビットの位置から、当時は上屋の真ん前に海があったことが分かっている。
このコリドーで色々な別れがあったんだろうな…ともっともらしい想像をめぐらしていてもお腹はすく。
次回、中編「焼きカレーを目指して」
【参考文献】
・旧大連航路上屋に展示してあったパネル