してみんとてするなり

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映画「沈没家族」感想


出○座でドキュメンタリー作品の『沈没家族』を観た。以下イントロダクション冒頭を引用。

1995年、シングルマザーだった母・加納穂子(当時23歳)が、加納土監督が1歳のときに、共同で子育てをしてくれる「保育人」を募集するためにビラをまき始めた。「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」という加納穂子の考えのもと集まったのは独身男性や幼い子をかかえた母親など10人ほど。毎月の会議で担当日を決めて、東京・東中野のアパートでの共同保育が始まった。母・穂子が専門学校やその後の仕事で土の面倒をみる時間が取れないときに、当番制で土の面倒をみていた。「沈没家族」という名称は、当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したのを聞いて腹を立てた穂子が命名

最後の3行からして既に信頼できる。映画が始まってからも本当にホコさんに圧倒されっぱなしだった。土くんと向き合うために自分の時間を確保するって発想が、マジで良。
映画で最初に驚いたのは、ホコさんが保育人募集を呼びかけるために傍らで遊んでいた土くんを引き寄せて「この人のお世話をしてもらいたい」と言ったこと。1歳ちょっとくらいの自分の子どものことを「この子」とは言っても「この人」と言う人を私は見たことがない。それほど、自分と他人(いかに息子とはいえ)との境界とか距離というものをはっきりさせている人なんだろうという印象を持った。
あとホコさんはタバコは吸うし酒は飲むし部屋は汚いし、"母親"像とはかけ離れているところが気持ちよかった。森岡は"良妻賢母"とは違うよねと言っていました。そういうことや。


らったらったらったら(幻聴)


沈没家族として土くんを育てていた人が、自分の子どもを持つのは怖いと言っていた。それは山くんの「俺は沈没とは違って出入りができない」という発言と通底しているのかもしれない。そう感じる時点で沈没家族の人々も実は血とか"家族"とかそんな感じのものにすごく引っ張られているんだろうけど、気持ちは分かる気がした。
それはきっと私もどこかで、"家族"観を内面化しているからだろう。いわゆる伝統的な価値観に引きずられたくないと思っている一方で、ふとした瞬間にそれらこだわっていることを自覚することもある。まあ引きずられたくないって思っている時点で既にお前は引きずられてんだよという感じもしますが…。
子どもがいて両親がいて祖父母がいてという家族以外にも、子どもはいなかったり、同性カップルだったり、養子を迎えたり、あるいは沈没家族のような試みであったり、どういう形態をとるのかは本当に多岐にわたる。家族になるには信頼とかそんな感じの何かしらの条件は一応あるんだろうけど。そのかたちをひとつに規定することなく、家族になりたい人々が自分に合った形で、家族できたらいいと思う。
  

隠しギミックについて。
八丈島のホコさんのお宅の玄関。

アベ政治を許さない」が掲げられていました。あの画質でも私は視えるぞ。